宙組「炎にくちづけを/ネオ・ボヤージュ」

H17.10.30 宙組「炎にくちづけを/ネオ・ボヤージュ」東京宝塚劇場

新公を先に見て、怒り心頭だったものの、やっぱりガイチさんの退団公演だから見ておかなくちゃと思い、観劇しました。

全体的な感想はやっぱりそんなに変わらないものでしたけど、この作品も含めて木村先生のオペラシリーズはまとまった数の人的セットありきなんだなと実感しました。プロローグの長い長い歌の場面でも、本公演の時は厚みがありましたもん。でもそのおかげで一言の台詞もない伸び盛りの若手がいかに多いことか!と嘆きもあったりして。これ、リピーターも含めて団体客に受ける作品なのかしらって疑問を持ってしまいます。

宝塚が芸術性を求めてはいけないと言っていうのではなく、宝塚は芸術性と庶民性が混ざっているからこそ身近になると思うんですよね。何度もいいますが、この作品を宝塚でやる意義がどこにあるのかが私には一向に理解できません。それに、これ、少なくともガイチさんの退団公演ですよ。これほどの功績者なのにこんな情け知らずな役をやることになってしまって・・・ファンも含めカタルシス感じるかなぁ?

そんななんだかなぁと思う作品なんだけど、それを力業で魅力ある人間にしているのがたか・はなコンビではあります。たかちゃんのマンリーコは包容力の固まりで、はなちゃんはトップ12年(だっけ?)と思わせないような姫ぶりだし、ガイチさんはうまいから悪役を演じきってしまうし・・・。話の筋は納得できないけど、ストーリーを抜きにして演技だけみたらやっぱり妙に説得力ありました。

ストーリーは後回しで見ていたから、なんだかつっこみどころがあって面白かったのも事実。たとえば、

・かなりの重傷で教会に助けにいけないマンリーコ。あれから5日も経っていないうちにレオノーラを助けに行った後、森ですっかり元気で結ばれちゃう→ジプシーに伝わる強壮剤でも飲んだのだろうか?

・多くの人が1着っきりの着たきり雀なのに、毛布も含めて5着も着替えているレオノーラって?

・牢獄であれだけ大声で歌ったりしているのに、ぜんっぜん起きないアズチューナの爆睡ぶり

不思議っすね。

あと新公では最後にアズチューナが「母さん、仇は討ちました!」と絶叫していたのに、本公演では「マンリーコ!」って言って終わりだったような。これで新公と全然作品の印象が変わりました。アズチューナにはどこか母の仇である意識はあっただろうけど、本公演のバージョンで終わるとアズチューナも「許し」を求めている部分があるんだなと、物語の統一感がありました。ルーナ伯爵もガイチさんの激演で弟を火あぶりにしてしまったことに対する懺悔が盛り上がりましたので、最終的に十字架に対して全員が「許し」を求めているという印象に収まったようでした。

たかちゃん、この次で退団を発表したからか、ものすごく解脱状態に入っているような。いい具合の力が抜けてオーラ全開でした。素直にカッコイイわぁと。
ふさちゃん・・・悔しいがうまい。でも、この娘役の役配分のアンバランスさを何とかしてくれないとつまらないです。
ガイチさん、これでやめてほしくなかった。
たにちゃん、どっかでみたキャラが。彼女ももう少しバリエーションを持たせた役で見てみたい。
エークの組長。さすが。うまいの一言。
すっしーのフェルランド。風邪引いているのか歌でひっくり返ったところが惜しいっす。
イネスのるいちゃん。もっと台詞言わせてあげてくれ。
その他の若手男役と娘役。次回は台詞がたくさんあることを祈る。

木村先生、外部でオペラシリーズは演出してください。お願いします。

「ネオ・ボヤージュ」
三木先生のショーでした。
ごめん、あんまり面白くなかったの。
群舞、群舞だし、トップコンビの露出は高いけど、こんだけそろっている若手の生徒の活躍の場が・・・。つうかガイチさんに一場面くらい持たせてあげてほしいよ。エトワールでなくていいから。男役のファンっていうのは最後「男役として堪能できる場面」があるかないかでファンとして昇天できるかできないか別れると思うんだよねぇ。
それに相変わらず中詰めで銀橋使わないし。相変わらず「踊るリッツの夜」だし(著作権大丈夫なのかね?)
せめて最後、トップコンビが踊り狂う隣でたかちゃんと同期のガイチさんが歌い上げて、ハイタッチでもしながら「さよなら」を演出するくらいできないもんっすかねぇ。
タップが多くて工夫をしているのかもしれませんが、これって夏の博多座公演のための準備練習?(笑)
なんだか消化不良なショーでした。