舞台「太陽2068」

「太陽2068」シアターコクーン
 2014年07月12日から08月03日までで6回

蜷川幸雄さん演出で前田敦子さんの初舞台作品となる「太陽2068」。元々は劇団イキウメ主宰で脚本演出の前川知大さんの「太陽」シアターコクーンに会場を移し、主演を綾野剛さんで上演されました。一回観れば十分だろうと思っていたのですが、途中でイキウメ版の作品も後追いで鑑賞したら、作品の深さにすっかりはまりました。うまくこなれた言葉にできていないけど、眩しいほどの未来への希望と、同じくらいの深い闇を感じた作品でした。

昼と夜に、別れてしまった未来。
バイオテロにより拡散したウィルスにより、
強い若い肉体を長く維持し、高い知能を得た反面、紫外線に弱く太陽光の下では活動できない体質に変異した人間「ノクス」と、
古くなってしまった普通の人間「キュリオ」が共存する社会。
"ある事件"をきっかけに、二分された人間と世界が動き始めていくー。
果たしてそこに、人はどんな希望を見るのかー?
(公式ページから引用)

キュリオは長野第8区という地縁の強い農村地域。セットは蜷川さん演出の「滝の白糸」で使ったものらしい。それはまるで写真で見た戦前の昭和の田舎そのものでした。なぜこんなに極端にボロくて古い設定なんだろうと思ったのだけど、コクーンの大きさに負けずにノクスとの対比をわかりやすくするには、このくらい極端でいいのかもしれないなと感じました。あと、セットではないのですが、蜷川さん繋がりのゴールドシアターのみなさんがリアルお年寄りで、例えようもない迫力がありました。
ノクスは地下都市のような階下へ向かう時に壁を感じる趣向で、透明で無機質なイメージ。設定転換する時にすっとその世界に入れるのだけど、唯一客席との高さがない…というより、一階5〜6列目位が丁度舞台面と同じ高さになるので、一階の後列や上手/下手よりの席だと、見切れてしまい、座席にそれほど高低差がないため二幕の結(前田)のクライマックスの場面で相当ストレスがたまる。せめてあと10センチそこあげした舞台だったら良かったな…。(立ち見3回しましたが、立ち見こそ、この場面二重の意味でため息が出てしまうのでした。)

太陽の下で過ごせる(骨董品)キュリオの鉄彦(綾野)と、太陽に当たると死んでしまうノクスの森繁(成宮寛貴)が象徴する「共存」への光……この作品は主役二人の友情と希望の話でした。そこに至るまでには、元々は友達なのに10年前に事件を起こしたキュリオの克哉(横田)とノクスの嶋(績木)の過去の「敵意」キュリオからノクスになった金田(大石)とキュリオのまま年を重ねた草一(六平)の現在でたどり着いた「理解」というように、縦軸にキュリオとノクスの関係性が描かれていました。
壮絶な10年前の悲劇を描きながら、その過去の呪縛を自ら断って、希望を頼りに共存を探る人生の旅に出る鉄彦と、壁を作らず差別をしない森繁との関係は、ほかにもさんざん言われているように映画「Stand by me」のよう。ワイワイと仲睦まじくふざける二人は、最後の演出と相まって爽快感がありました。

それとは反比例していたのが「ノクスという偶像」になったキュリオの結(前田)。鉄彦と同郷の、草一の娘・結は、ノクスになんてなりたくないと、ノクスに依存した生活はしたくないと言っている。このままではダメだよ、ここから一緒に出ようと草一を説得するものの、父としてはノクスとなって自分の娘に不自由のない生活をしてほしいと気持ちがすれ違ってしまう。結の「父への愛情」と「自立の希望」が、ある事件を通して「絶望」と「無力感」になり、変化を求めて「断絶」してしまう。ぼんやりと、でも確実に感じる"不安"の元凶。それを自分で解き明かす前に都合のいい言葉よって操られ、体制を維持するシステムに組み込まれた結は、自分を見ているようで正直ぞっとしました。

つまり、単にキュリオとノクスの対立から発生する問題だけではありませんでした。家族や地縁、今生きている自分の周りの世界の話でもありました。自らの出生地縁に強い意識を持った克哉と結の台詞を聞いていると、シチュエーションこそ違うものの、言いたいことの本質は同じだと気づきました。克哉が放った悪態は、そこから自ら動かない村人たちに対するものであると共に、結の話していた希望。それに気づいた結は、四国から戻ってきた村人から隠蔽された事実を聞き、身内に殺められる克哉を見て、草一たちと生きる将来に絶望してしまったのではないか……。つまりは自分もあの中で精神的に「殺される」のではないかと感じたんだろうなと。森繁が鉄彦に言い放ったように、自分で変わらなくては変わらないのに、それに気づかないで道からそれてしまう結。そういった影の部分もあって、単に爽快感だけで終わらないざらっとした後味を残す作品でした。

また、イキウメ版の時には、女性の配役は「性」より「機能」というシステマティックな印象を持ったのですが、コクーン版では女性の配役に「性」を強く感じました。結についてはコクーン版で新たに作られたキュリオの拓海(内田)との絡み、結の実母の玲子、純子の存在です。拓海はいつも股間を弄り、挙句には力づくで結を襲う。もしかして結の拓海との絡みは、結に図らずともキュリオ時代の遺伝子が宿り、ノクスとなった結から生まれてくるという第3の種の可能性なのかもしれないと邪推しています。またキュリオが「家畜のような」セックスをすることを間接的に軽蔑するノクス化した玲子にあっては、種の繁栄のために会員組織で乱交する様をさらりと語る倫理観の飛躍。愛だのという観念の入り込む隙はなく、機能的に「物語を紡ぐような」セックスをしても出生率が上がらないというノクスの現実を俯瞰しているようで、子供は天(太陽)からの授かり物なんだと言っているようでした。実質的な村長だった純子は性別を感じず、むしろ長野8区という象徴だったように思います。そういう意味では後半は特にジャンヌ・ダルク的な印象でした。

振り返ると、人数も多く、場所も大きくセットも組まれたコクーンでは物語を紡ぐ糸がそれぞれ太く編み込まれた状態になっていて、登場人物ごとにそれぞれの太陽と月があることを感じさせるつくりになっていたのではないかと思いました。

主演の鉄彦の綾野剛さん。見た目は田舎のいきったあんちゃんですが、森繁とのやりとりは猫のじゃれ合いのようなところもあり、ファンの人には「たまらんな」というところだったのでは?18歳の無邪気さはもっぱら森繁との場面で見えたのだけど、ちょっと後半になって客の反応を取りたいという色気が出たのか、脱線するところが見られた気がします。華と勢いがあり、すごく頑張ってました。

森繁の成宮寛貴さん。蜷川作品は久しぶりとのことで、調べてみたら舞台で観るのは蜷川ハムレット以来でした。物凄い安定感で、脱線してもちゃんと戻してて、鉄彦といいコンビ。声も通るし、見た目も爽やかでした。カーテンコールでは「クロユリ団地」で共演していたことからか、あっちゃんと仲睦まじく声かけていたのが印象的でした。

草一の六平直政さん。劇中で披露している歌がめっちゃ上手かった。肥溜め担ぐ姿が様になってました。草一は金田とのやりとりや、あるいは一人の場面で笑いを誘う場面が多かったのだけど、結との場面は家族への想いが切々と。ノクス化した金田に再会して「別人にしか思えない」と言い放った言葉が、結と再会した時に胸を指す矢になって返って来ていて、草一の泣き笑いで胸を締め付けられました。

純子の中嶋朋子さん。母でもあり、女でもあり、村長代理のような性別関係なしの村の支柱でもあり、古い軛の象徴でもある。冒頭のシーンでイキウメ版では「(克哉を)逃がしたのか?」と追及されているところが今回「逃げたのか?」になってて、ここが効いていたから最後の克哉への制裁を黙認してしまう葛藤の場面が生きたのでは?。後半、結の姿を観て絞り出した言葉が精一杯の優しさなんだなぁと思いました。

金田の大石継太さん。今回の作品で一番感情移入できた役でした。ノクス化した人間なんだけど、結を巡ってノクスの欺瞞を吐露する人間。罪悪感にかられて、太陽を見ようとするんだけど、もしかして、彼は本当に太陽を見て人生に納得するかもしれないと思いました。笑いが取れる場面が多く、面白かった。でも少なくとも6回見て脱線することがなかったのは流石だと思いました。

征治の山崎一さん。選民思想を持つというノクスの代表というようなキャラクターでした。結を巡って玲子と口論するも、自分を成長させるためにという利己的な理由で合理性を優先する冷酷な面があったものの、結と玲子の場面でイキウメ版ほどドライに描かれてなかったように感じました。結を軽々とお姫様だっこして去っていく姿に心の中で違う意味でもありがとうごさいますの合掌。

玲子の伊藤蘭さん。舞台を観るのは初めてかも。鼻につく理想主義者で、自分がキュリオだったことも憎むべき「病気」のような言い方をしているところも、少しクラシックな台詞まわしと合っていました。征治と共にコクーン版の方が感情が表に出ているような印象でした。それは「ノクスとしての結」を産み出す時に強く感じ、玲子は結の動物レベルでの抵抗を後半の舞台では悲しげに(もしかして哀れに?)見ていたように思ったのです。結と再会したときにインスピレーションを全く感じなかったとしているものの、自分の血縁者に対して、理性を超えた感情の芽生えを理性的に解釈していたからでしょうか。衝撃的な二幕の場面が、一瞬ドラキュラの儀式のようにも思えてしまいましたね。

拓海の内田健司さん。イキウメ版にはなかったこの役、結との絡み以外の場所で、どういう立ち位置だったのか未だに良くこなれてません。ずっと股間を弄っているのが、生と性への生々しさになるのか?意味がない役はないと思っているので、この部分謎解きを聞きたい感じです。

克哉の横田栄司さん。横田さんは「砂の戦士たち」という謝先生のミュージカル以来の観劇でしたが、今回の役はあまりにも憎々しくて最後まで憎々しかった。憎々しいけど、おそらく村人誰にも起こりうる感情を持っていて、冒頭に友達を殺めてしまった因縁に縛られる。なんか微妙に因果応報な存在でした。

そして、結の前田敦子さん。インタビューや舞台挨拶を観ると、初舞台で蜷川作品ということで躊躇していたようです。しかし,私はこの作品、このキャストとスタッフで舞台に挑戦したのは成功だったし、強い引きと「縁」を強く感じました。(配役が出た時に一部の演劇ファンからメタくそに言われてたのをネット上で読んだので)。
実際「引き出しがある」とか「巧い」とは言えない。でも存在感、爆発力がずば抜けていて、目が離せなかったです。私は前田さんのファンでひいき目もありますが、観る回を重ねるごとに結の葛藤や絶望、父と娘の関係性を観て会場からすすり泣く声が大きくなってきたのは、観客の心に入り込む結の存在の証明だったのではないかと思いました。爆発力という点では、場面のよって草一や鉄彦、そして征治に掴みかかる場面もあり、そこでの取っ組みかかり方が躊躇いがなく驚きました。ある意味動物的な動きというか。だからこそ、挫折した時や生まれ変わった時の抜け殻のような背中が印象に残りました。
「巧いとは言えない」と言いつつも、初日近くから千秋楽まで観劇し、どこがどうとは言えませんが「成長したなぁ」とも感じました。アドリブなんて入れなくてもいい派の私としては、彼女が実直に演じる中で、毎回の舞台で結から受け取る印象がどんどん繊細に、深く感じていくことが嬉しかった。(細かいところだけど、二幕冒頭の草一との場面で手を解かれるところが凄く好きです。)そして圧巻は最後の草一との再会での化けぶり。既視感のあるこの怖さ。怖い……って感覚を久しぶりに思い出しました。個人的には野田さんの舞台でぜひ観てみたい!今後の作品がとても楽しみです。

思うのですが、この作品はもしかして海外ウケするかもしれないなと。日本の各地でも公演を!という声もあると思いますが、NYあたりで上演なんてあったら……観てみたいものです。ちなみにWOWOWでは2014年10月25日に放送するとのこと!もう一度観られる楽しみができました。

太陽2068公式ページ