21C:マドモアゼルモーツァルト

音楽座ミュージカル
21C:マドモアゼル モーツァルト
2005年7月30日 PARCO劇場

1996年に解散した音楽座が、音楽座Rカンパニーとして復活した。その第一作目が「21C:マドモアゼル モーツァルト」で、主演を東宝ミュージカルではすでに常連となりつつある、(一応)新人の新妻聖子さんを迎えて公演が行われています。

音楽座の活動後期になり、初めて県民ホールにつれてってもらって見た公演が「泣かないで」で、それ以来音楽座はとても好きだったのだけど、解散した後の星の王子さま'98」「メトロに乗って」と、外部からのメンバーで構成した公演の方がよく観ています。それでも、音楽座の作るミュージカルは命の大切さや愛を一貫して描いていることに非常に共感しているところなのです。

折りしも帝劇では「モーツァルト!」の上演中だったりするもんだから、不思議な感じがする。今回の舞台は、モーツァルトは男ではなく、女だった!?という視点で描かれた漫画が原作になっています。(漫画は見ていない)私は初演と再演は見ていないで今回観劇をした。(昔はNHKで音楽座の公演が放送されていたのだ。)

戦争から始まった21世紀というパンフレットの書き出しどおり、プロローグも21世紀の戦場から始まり、時を遡って18世紀に突入します。狂言回し的な役割となったのがモーツァルトをライバル視しつつも、モーツァルトに恋してしまう宮廷音楽家サリエリ
子供の頃、音楽の才能を見出され「女では音楽家にはなれない」と父親に息子として育てられてしまうエリーザ。エリーザはやがてヴォルフガング・アマデウスモーツァルトとなり、音楽家として一世を風靡する。ところがサリエリモーツァルトが女ではないかと疑いをかけ・・・というイントロから始まる物語。ストーリーの詳細は、以下のホームページで確認してください。

音楽座Rカンパニー 

セットは、鉄で編み上げたような割れた地球儀が舞台上に展開されて、それが場面転換になっています。よじ登ったり本当に地球になったりと、その上に上っている精霊たちが印象的です。PARCO劇場はセリがないせいか、前回はセリを使って地球儀を登場させていましたけど、それがなし。全国公演があるせいかもしれませんね。

一幕までの率直な感想は、音楽座らしい技術力の高さとチームワークがあるなというものです。好きな劇団だからこそ言いたくはないけど、最近は宝塚を見ていてもテクニカルな部分でかなり不満を覚えることが多く、やはりお金を払って見る以上はきちんとした歌、ダンス(あえて芝居は除くけど)を見せて欲しいと思うし、技術があっても見せ方が悪いんじゃないかという気にはさせないように演出家も努力して欲しいと感じることが多いので、その点では歌もダンスも十分満足できました。
ダンスはアクロバティックな部分がTSファンデーション作品の雰囲気もあります。女性でもクマテツ張りのくるくるジャンプ(あれってフェッテっていうんだっけ)をガンガンやってくれるし、前の席でみていて迫力満点でした。
歌にしても、脇を固める旧音楽座のメンバーもそうだし、元四季の広田さん(サリエリ)や父のレオポルト役の園岡新太郎さんもいい声きかせてくれています。これがミュージカル3作目の新妻聖子さん(モーツァルト)も、ガンガン声は出ていて恐ろしいばかりの新人です。ハイトーンの部分が消え入ってしまうのが気になりましたが中音域では東宝ミュージカルで鍛えましたというような張りがありましたね。今回上演するにあたってはカンパニーも主演をどうするか悩んだろうなぁという痕跡を感じ取りました。土居さんの雰囲気と同じではありませんが、少年を演じるためにはまだまだ新人な新妻さんをピックアップしたのはかなりいい選択だったと思います。これが舞台に慣れきっている人だと、変な苦味が出てくるのではないでしょうか。ある意味がむしゃらで、まっしぐらなモーツァルトの気持ちが後に語る今回のテーマと合っているように思うからです。

で、歌とかダンスとかはかなり満足だったのですけど、どうも作品全体として思った以上の波が来なかったです。どうしてでしょうか。
確かに21世紀は戦争で幕をあけ、今も戦争が終わるどころかどんどん過激になっていく。命を軽んじること、お互いを認め合わないこと、憎しみの連鎖を続けることは人間にとって意味のないことでしょう。で、私は多分それに憤りしながらも何もできない諦めを自分の中に持ってしまっていて、目を伏せているところがあるんですね。どの立場の誰もが正義をもっていて、恐らくそれに動かされて戦争は繰り返されているんだと思うと悲しいのですが。(少なくとも一般市民には都合の悪い情報なんて出てこないし、全部情報を提供されていると思ったら大間違いです。明らかな嘘は言わないだけなんですから。)

そんな虚しさを持った現代。たとえ裏切られたとしても愛とか人間を信じていく気持ちをもって再生したい。この作品を通してモーツァルトの歴史を超えて語り継がれた音楽、歴史を超えて受け入れられる音楽、人にとって永遠不滅のテーマである愛、そして愛によって生まれる命・・・という部分を戦場の21世紀、サリエリの残った19世紀、モーツァルトの生きた18世紀を通して描きたいのだなと感じましたが、若干テーマがとっ散らかってしまって、中途半端な印象がありました。

サリエリモーツァルトが出会った意味を生涯問い続けることと、人が生きていく意味を巧く重ねたいところも十分わかるのですが、私は結構モーツァルトのスタンスが中途半端に見えました。つうか、もっとモーツァルトという人を描くためにエピソードを書き込むべきではなかったかなと。群集での場面が意外に多くてモーツァルトはまだまだ埋没してしまうようなところが見受けられたのです。多分、そこがキャリアの違いなんでしょうねぇ。そういう意味で見終わってから印象に残ったのはコンスタンツェ(中村)だったんですよね。まだ10代なのに結構年齢いった雰囲気をかもし出しているのと、芸風が島田歌穂さん系なものがありました。ホント、コンスタンツェがかなり底上げしていたなと思いましたもん。
戦争を描く前にまず愛だろと。愛を描くには人の心のひだを描くんだろと。サリエリが銃声の中で「わかった」ことはなんなのか、残念ながらこの回ではよくわかりませんでした。

この再演をするにあたって、脚本や音楽もかなり変えたそうです。前回は小室哲哉が音楽を担当していましたし、横山由和さんのクレジットで脚本と演出でしたし。音楽を聴いているときに、きっとモーツァルトの楽曲をアレンジしているところもあるんじゃないか?とクラシックに明るくない私は感じましたが、劇中流れるオペラの曲は宝塚でも聞き覚えのある曲もありました。雑談になりますが、小学校や中学校の時の音楽の楽典は、こういうミュージカルを見せながら勉強した方が絶対成人してから役に立つと思うね。文化と歴史って表裏一体なんだもん。

ってなことを書きましたが、もう少し見たいので9月のグリーンホール相模大野に見に行くことにしました。その間に帝劇のモーツァルトも見るので、どんな風に印象が変わっているのか楽しみです。

PARCO劇場では、8月7日までです。