炎にくちづけを・新公

2005年10月18日宙組新人公演「炎にくちづけを」東京宝塚劇場

本公演を見る前に、新公を観劇してしまった宙組。本編に入るまでが冗漫で体感時間が長かった。プロローグで10分以上平坦な読経のように平坦な音階の歌を聞くとは思わなかった。
前の席に座っていた子供が死ぬほど飽きてしまっていて、一時も体を止めることなくぐずっていたねぇ。気持ちわかるよ。けれんみがないし、暗いし、子供にはきついよ、この作品。本公演でも好きな生徒がいるからと複数回見ることになるファンの方は、結構きついんじゃないかな。

原作はイタリアのオペラ「イル・トロヴァトーレ」可能な限り歌、歌、歌。数少ないメインキャスト以外はコーラスだった。だからプロローグを短くしてしまうと下級生の出番がない。ある意味苦行のようだった。
ちょうどネットで検索をしていたら、「イル・トロヴァトーレ」のあらすじがあったので、引用して転載すると、

「15世紀のスペイン。ルーナ伯爵は、美しい女官レオノーラに思いを寄せているが、レオノーラはマンリーコと相思相愛である。マンリーコはある日、母アズチェーナから、自分の素性の秘密を知らされ、自分が誰なのかわからなくなってしまう。そこへレオノーラが修道院に入るという報せが入り、彼女のもとへと駆け付ける。彼女はマンリーコが戦死したという噂を信じたのだった。伯爵も彼女に翻意をうながそうとやってくるが、そこに駆け付けたマンリーコと仲間に彼女を奪い去られる。怒った伯爵はアズチェーナを捕らえ、マンリーコをおびき出す。母親を助けに来たマンリーコは捕らえられ、アズチェーナとともに牢に入れられる。レオノーラは、伯爵をたずね、自分の身体を代償にマンリーコの釈放を求め、自らは毒をあおって死ぬ。伯爵はレオノーラの裏切りに激怒し、即座にマンリーコを処刑させる。アズチェーナは「マンリーコはおまえの弟だ、お母さん、仇をとりました」と叫んで倒れる。呆然と立ち尽くす伯爵。」
(出典元:新国立劇場イル・トロヴァトーレ」ホームページ)

このまんまのお話でした。

観劇し終わった直後にモブログしたものはあまりにも感情的すぎるので、100歩譲って有名なオペラを宝塚の板に乗せた意欲作としたとしても・・・この作品を選択することが果たして宝塚で上演する意味や意義があるのだろうか?という疑問が全く消えなかった。原作のオペラを見ていないのが残念だけど、果たしてどれくらいそのまま上演したのだろうか?

私は、ある意味非常に狡猾な作品を作ったと思っている。ひとつには難度の高い歌が多くて、正直うまいのか下手なのかよくわかんなかったし、そんなとっかかりのところで頭が痛くなってしまったのだ。もっと素直に歌わせろよ、宝塚なんだし!と。
もちろん芝居を見た限り、それぞれの人間が犯した罪に対して許してくれって何度も言っているからそうなんでしょうけど、一人一人の書き込みが浅くて(もともと1時間40分で納めていい尺じゃないはず)それぞれの罪と罰が茫洋としてしまっている。一番不思議だったのは、アズチューナがマンリーコの素性を伯爵に暴露した後に、ストップモーションでマンリーコがジーザスクライストスーパースターよろしく磔にされていたけど、あれだと伯爵の罪と罰やアズチューナの罪と罰があっさりと「許されて」しまって、いったいこの人たちの苦悩っていうのはこの話の中でどれくらい重いものだったのか?と。むしろそっちの方が重いんじゃないかと。ジプシーだからといって迫害するシスターたちの罪とかさ。本当の兄だということを知らされないままで死んでいった(んだよね?)マンリーコにキムシンはどんな意味を持たせたかったんだろうか。レオノーラへ疑念を持った自分の罪だけではなくて、アズチューナをここまで追い込んでしまった実の兄に対して代わりに受ける贖罪っていうのは原作の中で描かれていなかったのだろうか、とか。最後に愛とかかるーく持ってくることで、キムシンは一人で気持ちよくなっているんじゃないのかなと冷たく見てしまいました。
(くだらないつっこみしてしまうと、マンリーコは砲台からド〜ンととばされて爆死するのかな?って思ってしまいました。薪がくべられてびっくりちゃんです。)

それもこれも私、宗教をネタにした日本人の作品って基本的に信じてません。だってこのなんでもありの神仏混交12月だけクリスチャンな日本の風土で育った人間に宗教を拝啓にした作品を背負えるの?って思うから。キムシンがキリスト教の洗礼を受けていてその教えのままに作品を書いたならまだ覚悟もあるけど、この作品からそういう覚悟が全然感じられない。スサノオでも大上段に歴史を語ってくれた前科もある彼には簡単に宗教を使うなっていいたいね。

・・・と頭にきながら見ていたんですが、部分部分でロミオとジュリエットみたいだなと思ったりしていました。身分違いや取り違えや噂の流布によって主人公たちが運命の渦に巻き込まれるというのは、ドラマのセオリーの一つなんですね。

生徒は頑張っていると思いましたよ。本公演と比較しないで見ていても、出番が少ない分でたときには頑張ろうというのはわかりました。それだけに生徒が気の毒でならなかったですね。
初の主役なんでしょうか?和さんは見た目もいいし、歌も頑張っていましたね。何より自分には高いハードルだということをちゃんとわかっていて、自分のマックスを出そうとしていたのがよかったです。

レオノーラももう少し厚く人物を書いてくれたらよかったね>まちゃみってところです。歌が超難しそうで、意外に歌が弱いかなと感じてしまいました。お化粧はきれいだったな。

ルーナ伯爵も気の毒だよなぁ。殺せ殺せって連呼するんだもん。なんか聞いていて気分が悪くなりました。(原作がそうだったとしても)七帆くんは、一瞬イシゾウに見えてしまいました。あえて「冷たい」と表現しますけど、イシゾウの中大兄皇子のようなそんなイメージかな。これをガイチさんやっているんだよね。退団公演だよね。

フェルナンドの十輝さんは、最近ふにゃっとした役をよく見ていたのでとても新鮮でした。意外にあっているのでは?

誰がやってんだ?とプログラム見るまでわからなかったのが咲花さんのイネス。なんか、痩せたの?顔がわからなかった。

パリアの早霧さんは声だけきいていたらミズかと思いました。おそらくタニちゃんの役だろうなと思ったらやっぱし。でもこれって鳳凰伝の時のミズ/タニの役代わりの時のあの役と同じやんか。ちょっとイメージ固まってしまうなぁ。

個人的に応援しているえっちゃんも今回はニーラーという役で、ジプシーの女の中でもリーダー的な役回り。ソロもあったし、こんなにせりふがあるのは初めてみたかも。意外にやるなって思いました。

そして何よりびっくりしたのは和音さん。この作品タキちゃんがでてたっけ?と思うくらい難易度の高い歌と芝居じゃありませんか?黒塗りがあっていて見た目もOKだったけど、役作りからかなり気合い入っていました。技術的には群を抜いていました。不思議だったのはあれだけ牢屋でマンリーコとレオノーラが大騒ぎしていたのに、ぴくりとも起きなかったこと。わざととらえさせて、殺させてしまうためのものなのか、それではあれだけマンリーコを探しているところの心と相容れないしと謎ではありました。心身分裂していたという説もあるようですから、そういうことなのかな。

本公演見なくちゃとは思うけど、この話をまた見ると思うと結構暗い気持ちになりますね。
この下級生の使い方、北京の民より、アイーダより悪いし、まだスサノオで太鼓たたいている方がよかったんじゃないかと、私も思いますよ。先生、宝塚のお芝居で主役コンビ中心とはいえ、人をもっと関係づけた作品の作り方をしなくちゃ、困ってしまいますよ。普通のファンは。