THE LAST PARTY−フィッツジェラルド最後の一日−

2004/10/24〜25 
宙組「THE LAST PARTY−フィッツジェラルド最後の一日−」宝塚バウホール

植田景子先生のヨーロッパ留学から帰国後第一作となった宙・月公演「THE LAST PARTY−フィッツジェラルドの最後の一日−」のうち、宙バージョンを観ました。この作品はバウ限定で、期間も10日間、私のスケジュール的に初日近くの公演しか見られない状況だったため、かなり悲壮な覚悟と言い訳で月曜日休み、観劇してきました。

「華麗なるギャッツビー」(雪組杜けあき主演)「失われた楽園」(花組真矢みき主演)にもあるように、宝塚ではスコット・フィッツジェラルド(以下、スコット)の作品をモチーフに作品が作られています。両方とも小池先生ですね。その小池先生の弟子・・・?というかよく演出助手についていた植田先生が、スコットそのものを取り上げるというのは興味深かったです。ちなみに宝塚の演出家が関わった外部作品で「ゼルダ」(荻田浩一)は、スコットの妻・ゼルダを主役にした作品でした。(ぐんちゃんの1人芝居)

舞台は、スコットが大学時代から亡くなる最後の一日までを描いています。普通とちょっと違ったのは、スコットを演じているYAMATOという役者たちの、かなり大掛かりな劇中劇の形を取っていました。最後のオマージュで、全員が揃い「ひとつのスコット・フィッツジェラルド物語」を読み終わるような志向。タニちゃんはスコットを演じるYAMATOと、普通のYAMATOと、物語のスコットのいわば3役を演じていたとうことになります。

舞台は、スコットの書いた本をモチーフにしたもの。セット自体は少なくて、机と椅子とその程度。あとベンチと椅子が出てきたかな。椅子はワークショップっぽく、装置にも効果音にも使われていました。舞台の奥にグランドピアノとシンセサイザーを置いて生演奏でした。スコットの作品ごとに場面が展開されるようになっていて、本の背表紙がライティングされ浮き上がるような趣向もありました。舞台の床も原稿用紙のようなイメージで製作されていました。

衣装コーディネートも植田先生がやったそうで、やや一点豪華主義的な、主役コンビにしても衣装替えがもう少しあってもいいんじゃないの?と思うけれど、それなりにこだわりがありましたね。気がふれてしまったゼルダにも、洋服の上に着物を羽織らせたりして、実際そうしたかはわかりませんが、かなりかぶき者のイメージがありました。小物使いも、ティーセットはウェッジウッド、スコットのクラシカルな腕時計、ゼルダの万年筆はシェーファー?、スコットの万年筆はパーカー?・・・なんて感じで、小物一つにもものすごいこだわりがありました。

植田先生の徹底的なこだわり、美学が盛り込まれ、その美学に酔いしれそうになりましたが、初回で観た時と、3回目に観た時とでは、微妙に違和感が増した作品でした。それは、一貫してスコットを舞台に出し、彼を演じている役者と、演じられている彼を見ていくうちに、この作品には物語としてのドラマ性よりも、これは一つのドキュメンタリーで、編集をする中でのストーリーという印象があったためです。

スカステの「NOW ON STAGE」で「私が描きたいのはドラマだ」としきりに超早口で話していた植田先生(ちょっと神経質な印象が・・・)。確かにバウは冒険できる場所であり、今回はセットや登場人物(15名)、作り的にもかなり冒険&低予算なところはよくわかりました。そして大和をとにかく出ずっぱりにするんだと、並々ならぬ意欲も感じました。だから、結果的にスコットのドキュメンタリードラマでも仕方ないとは思うのです。

だけど、これはホントにドキュメンタリー以外に分類される「物語」か?と。「一言でこういうことがいいたいんだ」というのは何か?と。帰りの新幹線の中で、このことを考えていましたが、結局植田先生の言いたかったことを一言でいうと「タニちゃんという生徒の成長とスコットの成長とを重ね、自分の生き様を重ねた作品」なのだろうかということしか浮かびませんでした。

先生はプログラムでこう一言を寄せています。(以下、抜粋)

「今さらながらというか、初心に返ってというか、今回の仕事を通じ、改めて芝居を書く喜びと、人間への愛おしさを呼び起こされました。スコット・スコットと、彼に関わって生きた様々な人達、その一人一人の優しさや悲しみや愚かさ・・・、どんな人にも共感できる普遍的なもの。国や時代が違え、どんな英雄や天才であっても、人の心の奥にあるものは同じなのかなと・・・、そんなことを考えるのが楽しい仕事でした。」(公式プログラムから引用)

この「どんな人にも共感できる普遍的なもの」が非常に曲者で・・・。先生が普遍的なものを書こうとした瞬間に、伝えられるのは「植田先生の考える普遍的なものってのはこうだ」になってしまって、観客である私が「普遍的なものはなんだろう?」と考えることを停止させてしまっているように思えたのです。考える素材より先に、考えた結果をもらってしまったみたいな感じです。

否、私の思考が拒否してしまったと言った方が合っているでしょう。なんかもう個人の趣味の世界ですけど「そんなに世界を決め付けてもらいたくない!」と思わず反発してしまうんですよね。独自の美学は認めたいのだけど、どうしても諸手をあげて大好き!とはいえないものがあります。(これは趣味の問題です。)

加えて、物足りないもののもう一つは、スコットにおける葛藤っていうのが今ひとつ理解できなかったからです。発狂してしまった妻のゼルダには、スコットの愛が欲しいってことと、自分がいると彼の仕事の邪魔してしまい自分との生活も維持できなくなるという現実との間で葛藤し、どちらも選べないから自分を壊してしまうドラマがある。
ところが、スコットには、自分が作家としてやっていく中で名を残すような大作を描きたいけど、生活を維持するためには短編を書かなくちゃいけないし、毎晩毎晩パーティでこんなんでいいのか、という葛藤はある。でもそれは作家としての自分とか自分の作品に対する葛藤であって、ゼルダへの愛と作家との間で明確に悩み葛藤している訳ではないのではないかと思うのです。
宝塚で、あのようなゼルダをヒロインとして出す以上は、少なくともゼルダとの葛藤はもっと書くべきなんじゃないでしょうか。っていうか、これ書かないで何書くのだろう?と逆に思うけど。自分達も言っているように「クレイジー」な人ならば、もうドロドロになるまで愛を描いて欲しかったところもあります。結果的に、自分の夢に正直に行き、才能を燃やして、夢破れつつも最後まであきらめなかったスコットの生き様よりも、ゼルダのスコットに対する愛の方が印象に残りました。
(*もちろん、スコットがシーラという愛人がいたり、ロイスのような女がいたことを全部描くことは無理でしょうけど、どうせなら破滅した生き方をした双方を思いっきり書いてもよかったのでは?と思うのです。)

スコットのタニちゃん
やはり華とはこういうことかという説得力が増しましたね。本人がかりんちょさんファンなのは有名ですし、こういう明暗のある役をやりたかったという気合は本当によくわかりました。それだけに諸手をあげて評価したいのは山々ですが、私が見た3回全部台詞を噛んで噛んで噛みまくり、ちょっと「台詞が入っているのかしら」とうがって見たくなるようなところがありました。後半にもう一回観たかった感じ。疲れてしまったんでしょうかねぇ。ほぼ1人芝居状態ってちょっとハードル高すぎませんかね。ファンの友達は歌もかなり上達したと話していました。

ゼルダのかなみちゃん
私はこういう演じ甲斐のある役はもう大賛成なので、久しぶりに女優・彩乃を観られて大満足でした。しかしながら、宝塚のファンの中には「こういう役をやったらもう女役だよね」とかいう方もいるだろうなぁと思うので、客観的には複雑だったけど、私は好きだからイイって感じ。最初に出てくる場面では、すでに結婚した後のパーティに明け暮れている時代のゼルダだから、あのインパクトは正解!ただこのときの声が思ったより出ていないなぁと思いました。目元も疲れていたので、ある意味ゼルダが降りてきているのかと(苦笑)スコットとのデュエット以降は本領発揮でしたけど。
そして秀逸だったのが、やっぱりゼルダの精神状態のゆれが時間をおって変わっていくのが、怖いくらい。ひたひたっとその時が近づいているような。本当に愛していたから、彼の邪魔をしてしまうことがわかるから、頭が悪いんじゃなんくて良いからこそ、哀しさがありました。ただ、こういう役を舞台で出すことは是非がわかれるでしょうね。個人的には、ゼルダはそのまま月組でも出てもらって、どういう風に変化するかを見たかった気もします。

ヘミングウェイのあっひー
いや、1時間近く出てこないから、一体どうなるんだ?と思ったら、後半はスコットの人生にかなり絡んできて、面白い役でした。あっひーがスカステで話していたように、彼の劇作の中での葛藤は描かれていないし、スコットとのやり取りでしか彼を描かれていないから、スコットに対する嫉妬とかそういうものをもっと見せてくれたら面白かったなと思います。冷たく笑う顔がかなりツボでした。

シーラのまゆみさん
スコットの晩年の愛人であり、保護者のような存在だったそうです。初日と二日目以降で若干台詞が変わっていたりして(クリーニングの時間、初日は3時までに取りに行くってなっていたけど、次の日からは昼になっていた)、あ、先生もちゃんと見てチェックしているんだなと。
シーラの母親のような愛を甘受しつつ、ゼルダの写真を机からはずさないスコットというのは、今一つ理解できないところでもありますが、男の人は一時に二人同時に愛せるのでしょうかねぇ。

マックスウェルのまりえさん
もう、この人がいて本当によかったという感謝の心でいっぱいです。芝居に幅が出るというか、スコットを応援している気持ちと、育て上げる上での厳しさとの中で葛藤していて、彼の破滅が一番堪えた人物じゃないかと思いました。

ローラの美風さん
2000人のオーディションの中で選ばれた、一番恋に落ちそうもない女性、という秘書の役です。確かに健康的で、しっかりもので、羽目をはずすってことに縁遠そうな、そんな明るい女性でした。すごく自然で好印象でした。

ゼルダの浮気相手のエドゥアールの月丘さん
軍服姿がなかなかかっこよかったです。台詞がやや棒読みチックだったのが気になりましたが、無骨な軍人だからそんなに滑らかに愛を語られても?って感じ。

スコッティの杏ちゃん
スコットとゼルダの娘役で、2幕からスコッティとして登場です。・・・でも、物語の中でスコッティのキャラクターを出す必要ってあったのかな?(ゼルダが子供を生んだっていう語りが1幕にもないし)まぁ杏ちゃんが出ているから、ってこともあるんでしょうけど。パパと一緒に踊ってしまう可愛い娘です。彼女も21歳で結婚したそうな。

下級生全てに役と台詞があったので、出演していた15人はものすごいやりがいがあったと思います。その意味で、全員に宛て書きしていた植田先生は偉いと思います。帰りの宝塚駅「あんなぁ、この作品宝塚でやる意味があんの?めっちゃ暗いやん」といっていた方がいたように、非常に好き嫌いのわかれる、評価の分かれる作品になるでしょうね。