映画「ルビー・スパークス」(ネタばれあり)

映画「ルビー・スパークス」2013年01年05日 渋谷シネクイント

TwitterRetweetされてくるものを見たり、いろんな記事見たりして興味持った一本。取りあえず横浜では上演予定がなさそうだったから観てきました。

シネマトゥデイのストーリーを転載すると、
”若くして天才作家としてもてはやされたカルヴィン(ポール・ダノ)だったが、今ではひどいスランプに陥ってしまっている。そこで、理想の女の子“ルビー・スパークス”の物語を書くことに。執筆に没頭していたある日、何とカルヴィンの前に自分が空想して作り上げていたルビー(ゾーイ・カザン)が現われ……。”

一体、映画「ルビー・スバークス」の狙ってる層ってドコ?

何故か観てる途中で非常灯がついたり消えたりして思わす「地震⁈」って落ち着かなかったのはさて置き、久しぶりに映画観た後に微妙な後味が残った。なんて言うか、自分の想像した主人公が実在してしまい自分の思い通りになるのは良いとして。主人公の振る舞いが途中から気持ち悪くなった。

自分の創造物だったルビーが現れて、充実した生活がいきなりやってくるカルヴィンが有頂天になって、この生活が壊れないように物語を書くのを辞めてしまうと、今度はルビーが自分の思い通りにならなくなり(当たり前)、それに対していらつきを覚える。

ルビーを自分の思い通りにしたら、今度はうっとうしくなってしまうわ・・・どんだけ自己中心的なんだって。ここで私は「キモヲタ」ってイメージが浮かんでしまった。やたらとカルヴィンは「天才」って言われること自体がも含めて。(そういえばこの話を評する時にオタクって言葉を使っていたのを見た。)

結果、ルビーと喧嘩しても、元カノと再会しても喧嘩してしまい、一方的に責めたてて相手と向き合うことをしない。カルヴィンは元カノにも創造物のルビーにも一度も自分の口で面と向かって謝らないのが気持ち悪さの原因なのかも。自己中で妄想好きな私でも厳しいな。創造物と同じ姿形の女の子と再び出会うファンタジーはアリ、ストーリーは作り物だし。でもこの主人公、根本的にルビーと出会って人間変わったのか?人が人と出会う根源的な”理由”って、自分の気持ちを揺さぶられることでしょ→自分はそう思っている。悪人でも一欠片の感情移入が出来れば良いのだが、この主人公に感情移入できない自分がいた。

ルビーはキュートなんだけど(初めて一緒に行ったクラブで浮かれてパンツ脱いじゃうくらいだから)、クライマックスで嫉妬に狂っちゃったカルヴィンにいいように踊らされてしまうところなんて、かなりホラーでしょ(^^;;見えない壁に何度も顔をぶつけているのを見て彼女の痛みを感じないどころかコントロール不能なルビーを見て狂ったようにタイプライター打っているカルヴィンってサイコでしょ?女の子が可哀想しか思えないのはいくない→完全に主観。

これがマトリックスの世界で行われている出来事だったら全て納得するのだけど、最後にルビーとの日々を書いた「Girl Friend」が売れて万々歳な時に再び出会う女の子を、カルヴィンは誰と思ってつきあうんだろうか・・・。

あ、それと細かいことだけど、タイプライターでさんざんやりたい放題だったのが、タイプライター(妄想)を捨ててパソコン(現実)に向かう時に使うのがMacってのは何か意味あるんでしょうかね(苦笑)

結構カップル度数が高い映画でした。だから女の子に「どう思ったあの主人公?」って聞きたかった。一人で観てる時のアウェイ感半端ないっす。

アメリカでの評価はどういった部分で評価されているものなのか、知りたいこの頃です。

配給 20世紀フォックス映画 公式HP 
監督 ジョナサン・デイトンヴァレリー・ファリス