映画「レ・ミゼラブル」2回目(ネタばれあり)

映画「レ・ミゼラブル」2013年01月5日 TOHOシネマズららぽーと横浜

映画以前にこの映画館、複合商業施設に入っているからか、朝一番の回を見る時のアクセスの悪さったら・・・二度と行かねぇよ!って思ったわ(怒)

で、2回目のレ・ミゼラブル。正直言って、1回目は懐かしさと蘇る舞台の感動といろいろで号泣しまくっていた。今回観て、あぁ、こんなことが違うとか、こういう風に描かれているのかとか気づいた点があった。

例えばバリケードには、一番前に棺桶が置かれてたり、アンジョルラス達の後ろにはプロビデンスの目(神の全能の目)?と思えるような一つ目が壁面に描かれていたり。

改めて観ちゃうと、自分が感情移入しているところが良くわかった。司教様の登場場面、ラマルク将軍が死んでからの翌日のバリケードの場面、そしてなんといってもエポニーヌ。やっぱりエポニーヌもう少し書き込んで欲しかった。

バルジャン、ファンテーヌ、エポニーヌが各々大切な人の為に心を砕く場面で同じフレーズを歌詞変えて歌っているのは三人が同じシンボリックな位置づけだからだと思ったし、単なる可哀想じゃないと思うんだよな。

愛のために戦って(身を削って)死んで行く人と、生き残って愛のために生きる人が出てくるけど、どっちが良いとかじゃ無くて、全ては神の思召し的な話なんじゃないかって思い始めてる。だからあんな二人の愛の花壇とか言われちゃうバカップルのマリウスとコゼットが許せる気がしてきた。(マリウスとコゼットは若いから許すとかじゃなくて、生きている人の後ろには多くの命があって「生かされる」ことを啓示してるのかなって思うんだよね。)

マリウスとコゼットは「見えないものに導かれ出会って3日位で愛し合っちゃう生かされる人たち」だから、愛しても振り向いてもくれないマリウスに思い知らされちゃうエポニーヌが、愛するマリウスに頼まれて小さい頃に散々ばかにした今は段違いに差のついてしまったコゼット(の父に渡っちゃうけど)宛の手紙を届ける葛藤を描かないといかんのだよ!(ここ映画ではガブローシュがコゼット宅へ届けるんだけど、舞台ではエポニーヌなのですよ)

愛しても愛されないんだけど、マリウスを守って撃たれてしまい「彼を守るために撃たれたことにもしかして気づいてないんじゃね?>マリウス」の腕に抱かれて、最後に同じ旋律歌っている時だけが心が一つになった至福の時だったんだなって。あれ、エポニーヌはちゃんとキスしてから絶命して欲しかった。(考えるとミュージカル「エリザベート」のトートのキスといい、キスは生と死のイメージあります。)

映画で違和感もった所はこのエポニーヌの描き方だけでなくて、映画のために付け加えた?というような気がしているジャベールの歌とコゼットを救ってジャベールから逃げる時のバルジャンの歌。ちょっと説明臭かったし、コゼットを救ってからジャベールに具体的に追われるシーンは映画で描き込んでいるっていう印象だった。

今日はラッセル・クロウが芝居はいいのだけど歌としてはちょっと物足りなさを感じてしまったのと、エポニーヌやっぱり上手いよなっていうのが印象に残りました。

寒かったので約3時間の間にトイレに行きたくて困ったけど、実際入れ替わり立ち替わり小走りする人が。あと話の筋がわからないからって大声で話し出すおばさんやめて〜。プログラムってあらすじ書いてあるんだから読んでよ〜って思ったよ(トホホ)