映画「ほとりの朔子」

黄金町ジャック&ベティにて

たまたま上映後にスイスから帰国したばかりの監督の挨拶付き回だったので、お得感がありました。
それによれば、そもそも二階堂ふみありきの映画だったそうです。人間を撮るのに適したサイズは「4対3」とかスクリーンのサイズや、その台詞の特徴(相槌が非常に多い、とか)は監督の好みのようです。質問した方が細かいところまで良く観ていてマメな知識まで得ることができました。正直私は観ててサイズまでこだわって無かった(^^;;

夏、朔子は勉強のため血の繋がらないオバの家に、これまた独身の持てそうなインテリのオバと共にやってきた。そこにやってくるオバの幼馴染、幼馴染の親戚で福島から疎開してきた少年、幼馴染の大学生の娘、不倫関係にあるオバの彼…とやたらと厚かましい近所の人達。

朔子は勉強に身が入らず、そんな人達と18歳の夏休みを過ごしていた。ちょっと気になる少年との逃避行未遂や、オバの艶っぽい話とか、いろいろ揺れながらもみんな現実の生活に戻っていく様を朔子の目線で描いていました。

プロデューサーの方の主張なのか、福島の原発反対運動についてもちょいちょい出してきてました。でもなんだろ、台詞も含めて唐突すぎて、意味が理解出来なかったですね。

画面の中に二人が入って会話をするシーンが殆どといっても過言ではなく、相槌がやたらと入る台詞回し。宝塚でいえば、バウ公演の正塚先生の芝居を映画でやっちゃったという感じが一番近いかな。監督は「人の会話は意味のない言葉が多く含まれているから」あえてそのようにしたみたいだけど、背景の情報量が少ない舞台と、映像による情報量で「表現できてしまう」映画とでは、同じような表現方法でもうっとおしく感じてしまうのではないかと思ってしまいました。実際「黙っててもいいだろ」って感じる場面ありましたもんね。

しかし、二階堂ふみちゃんの水着と、ポスターにもなっているほとりの美しさは特筆すべき点ですね。あれは見応えありました。


written by iHatenaSync